ネットワーク管理者の憂鬱な日常

とある組織でネットワーク管理に携わる管理者の憂鬱な日常を書いてみたりするブログ

エゴイズムの行く末

かの山本五十六氏は言った。

実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。
なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。
今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、
道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。
その若者が、こうして年を取ったまでだ。だから、実年者は若者が何をしたか、
などと言うな。何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。
# Wikiquoteより引用。

確かにそうだ。自分も10代、20代の時はそれなりの反骨心を持ち、年だけ食った
大人を心のどこかで見下し、周囲の迷惑も考えず大騒ぎしたこともあった。
当時の大人からすれば「本当に今の若い者は・・・」と言われていたことを
やってきたと思う。

ただ、悪い時をやっている時は心のどこかで良心の呵責を感じていたし、
それを見咎められた時は、体面だけでも素直に謝った。
# 心の中で舌を出していたとしてもだ(笑)。

だが、ここ数年の若年層を見ていて思う。
あくまで一部の学生だが、彼らは「謝る」ことを知らない。
また、自分がやっている事が「人に迷惑をかける」ことを知らない。
注意されたとしても自らの行為を棚に上げ、「誰々も同じ事をやっている」と
暗に自分を正当化しようとする。
つまり、いつも自分が正しく、自分が不利益を被る場合は人が悪い。

こちらの問い掛けに応答するならまだマシで、無視されることもしばしば。
そして聞こえてくるのは舌打ちの音・・・。
もう、「人の話を聞く」という、人として社会生活を営むための基本的な
能力すら備えていないのではないか、と思わざるを得ない。

我々は絶対的な存在であり学生は従うべき、などとは微塵も思っていない。
基本的にお互い対等であり、個と個のぶつかりの中から相手への理解が深まると
思っている。

しかし相手にその気がなく、その意味を理解する力もないのであれば、
いくら笛を吹けども、それは無駄な努力でしかないのかもしれない。

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