自分を評価するのは、自分ではない。
残念ながら、真実だと思う。
とある学生さんと接していて、彼の自己中心なイイワケと、あまりの諦めの早さに
少々立腹しつつ、しかし冷静に考えてみた。
今回の事案では、彼があと少し頑張りを見せてくれれば出すモノを出せた。
しかし、彼は自分で下した「できない」という自身の評価から抜け出ることは出来ず、
結局、成果提出を諦めるという選択肢を選んだ。
つまり、自分で自分の評価に線引きをしてしまった。
残念ながら、自分を評価するのは自分ではない。
もちろん、人がどう思おうと我が道を進むことに反対はしない。
反骨心を原動力としてでも、自らの能力を向上させるべく研鑽を積めば、
それは結局自分の評価を押し上げることにつながる。
望むと望まざるに関わらず、イヤでも人が評価してくれるだろう。
そういう努力を続け、成果がついてきても評価されなければ、それは評価側の力不足。
自らを正当評価してくれる(と思われる)場所を見つけ、さっさと移ってしまえばいい(笑)。
しかし、早々に諦めてしまうのは論外。
得たいモノに見合うだけの努力をせず、成果だけ得ようなんて都合のいい話は
そうそう通らないということを認識すべき。
振り返れば、自分についても同じことが言える。
文句を言う前に、(結果として)評価側を認めさせるだけの努力をしているか、
自分の有り様をもう一度見つめ直してみたい。
とある学生さんと接していて、彼の自己中心なイイワケと、あまりの諦めの早さに
少々立腹しつつ、しかし冷静に考えてみた。
今回の事案では、彼があと少し頑張りを見せてくれれば出すモノを出せた。
しかし、彼は自分で下した「できない」という自身の評価から抜け出ることは出来ず、
結局、成果提出を諦めるという選択肢を選んだ。
つまり、自分で自分の評価に線引きをしてしまった。
残念ながら、自分を評価するのは自分ではない。
もちろん、人がどう思おうと我が道を進むことに反対はしない。
反骨心を原動力としてでも、自らの能力を向上させるべく研鑽を積めば、
それは結局自分の評価を押し上げることにつながる。
望むと望まざるに関わらず、イヤでも人が評価してくれるだろう。
そういう努力を続け、成果がついてきても評価されなければ、それは評価側の力不足。
自らを正当評価してくれる(と思われる)場所を見つけ、さっさと移ってしまえばいい(笑)。
しかし、早々に諦めてしまうのは論外。
得たいモノに見合うだけの努力をせず、成果だけ得ようなんて都合のいい話は
そうそう通らないということを認識すべき。
振り返れば、自分についても同じことが言える。
文句を言う前に、(結果として)評価側を認めさせるだけの努力をしているか、
自分の有り様をもう一度見つめ直してみたい。