ネットワーク管理者の憂鬱な日常

とある組織でネットワーク管理に携わる管理者の憂鬱な日常を書いてみたりするブログ

Intensive Care Unit

一部の方々には経緯上連絡差し上げていたが、実はこの10日ほど身内がICUに入っていた。
が、おかげさまで今日、一般病棟に移ることができた。
まだ当面、入院生活は続きそうだが、とりあえず最悪の事態は免れた。
# この場をお借りしてご報告し、またご厚情に感謝致します。

とある疾患を発症後緊急手術を受け、術後そのままICU入り。
一週間以上気管挿管され、機械的な人工呼吸状態だったし、状態が安定するまで、
何種類もの抗生物質と(血圧の)昇圧剤の投与を受けていた。
この間、担当医からは「最悪の場合も考えておいてほしい」と言われ、正直、覚悟していた。
疾患が原因による合併症により、臓器の連鎖的な機能不全で生体システムが停止するか、
それとも、生体が持つ免疫システムが打ち勝つかのいずれかの答えしかなかった。

今となっては抗生剤の集中投与や、長期の麻酔状態による副作用や後遺症の懸念が
ないワケではないが、当時はそんなこと考えている状態ではなかったのも事実で
あり、とにかく重篤状態を脱することが先決だった。

やはり身内(それも遠くない)がこういう事態に陥ると、それなりに人生観が変わる。
今までなんだかんだ言いつつ、家族、身内との時間よりも仕事優先の生活を送っていた。
親や子供に振り回されるのも、正直疎ましく感じることもあった。

しかし、親にしてもいつまでも元気でいるワケではなく、子供にしてもいつまでも
我々に付きまとってくれるワケでもない。自分が一緒に何かしたいと思っても、
彼らがそれに応えてくれる時間は、そう長くは残されていないということに気づかされた。

もちろん頭では理解していた。たとえ血が繋がっていたとしても、近しい人々も
いつかはいなくなる。でもそれは、彼らは彼らの人生を全うできればいいし、
自分は自分の人生を全うすればそれでいいと思っていた。
そして、それぞれの生活を送るなかで、それぞれの都合が合えば交わればよいと思っていた。

しかし、今回のような事態もなく普通に過ごしていたとしても、身内と一緒に何か
をできる時間は、思っているほど長く残されてはいなさそうだ。

客観的に見ても、恐らく自分の人生も半分は終わってしまっている。
ちょうど今が人生の折り返し点だとしても、今まで生きてきた時間と、これから
残された時間を比べれば、これから有効に使える時間の方が圧倒的に少ないのだろう。

しかし、仕事や研究面でまだまだ努力を重ねなければならないし、仕事はイヤでも
増えていく。そして、まだまだ自己実現したいことを諦めたくないという想いも正直残っている。

だが、そうばかりも言ってられなさそうだ。仕事や研究とのバランスを取りながら、
身内との時間も大事にしといたほうが良いかもしれない。
トラブルはいつ起こるか分からないし、取り返しがつかなくなってから後悔しても
遅いのだから。

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