ワープロが使えない大学生
卒業論文シーズン。
現在、一般的にはワープロを用いて論文を執筆する。
無論、ほとんどの学生はワープロを使いこなす。
ワープロで論文を執筆することが重要なのではない。
卒業論文とはいえ、腐っても論文。問われるのはその内容。
ワープロなんて単なる道具、清書マシンに過ぎない。
しかし、残念ながら一部の学生はワープロの書式設定すらできない。
大学1年生ではない。卒業間近の4年生が、である。
卒論の内容なんて、議論の段階に程遠い。
それでも卒業すれば「大学卒」を名乗る。
今さら「学生とは自ら学ぶもの」とは思わない。
むしろ、一を聞いて一を知ってくれればマシなほう。
目の前の壁を乗り越えることは考えず、楽な方へ逃げることを考える。
壁を乗り越える時、得られるモノは大きいのに。
乗り越えられなかったとしても、乗り越えようと努力した事で
得られるモノは大きいのに。
自助努力という言葉さえ知らない(一部の)学生でも、
卒業すれば「大学卒」を名乗る。
変な使命感に苛まれ、学生に嫌われつつ無理矢理卒論を執筆させる。
そして(一部の)未完成な「大学卒」を送り出す。
仕事とはいえ、そうまでして彼らを送り出すことに
どんな意味があるのだろうか・・・
(補足)
大多数の学生は、必要に迫られてかもしれないが、
自らを助けるべく努力を重ねていることを付記する。
現在、一般的にはワープロを用いて論文を執筆する。
無論、ほとんどの学生はワープロを使いこなす。
ワープロで論文を執筆することが重要なのではない。
卒業論文とはいえ、腐っても論文。問われるのはその内容。
ワープロなんて単なる道具、清書マシンに過ぎない。
しかし、残念ながら一部の学生はワープロの書式設定すらできない。
大学1年生ではない。卒業間近の4年生が、である。
卒論の内容なんて、議論の段階に程遠い。
それでも卒業すれば「大学卒」を名乗る。
今さら「学生とは自ら学ぶもの」とは思わない。
むしろ、一を聞いて一を知ってくれればマシなほう。
目の前の壁を乗り越えることは考えず、楽な方へ逃げることを考える。
壁を乗り越える時、得られるモノは大きいのに。
乗り越えられなかったとしても、乗り越えようと努力した事で
得られるモノは大きいのに。
自助努力という言葉さえ知らない(一部の)学生でも、
卒業すれば「大学卒」を名乗る。
変な使命感に苛まれ、学生に嫌われつつ無理矢理卒論を執筆させる。
そして(一部の)未完成な「大学卒」を送り出す。
仕事とはいえ、そうまでして彼らを送り出すことに
どんな意味があるのだろうか・・・
(補足)
大多数の学生は、必要に迫られてかもしれないが、
自らを助けるべく努力を重ねていることを付記する。